2011年3月18日金曜日

震災 「やさしさ」と「怒り」の同居

私は東京在住です
今回の震災において東京の空気は日によって明らかに変わりました
その変わり方は極端で、やさしさを感じる日があれば怒りを感じる日もありました
東京に流れる、「人は人、自分は自分」という世の中の空気のベースががらっと変わってしまって
「人」を愛でる日もあれば「人」を憎む日もある、いやそれは日ではなく時間、もっといえば同時期に起きている
やさしさと怒りが同居する状態になっていたのです






























日を追って説明しましょう
3月11日に震災があり、その当日は「恐怖」を共有しながらも、事態の深刻さがそれほど深く理解できない軽い
「不安」の状態でした。
翌日・翌々日は土・日ということもあり、事態をTVやWEBで情報を得るにつけ事態を理解し始めましたが
福島・宮城・茨城・千葉のような目に見える傷跡があるわけではないので
どちらかというと隣人を救おう!という暖かい空気が流れていたように感じます


それが一変したのが出勤日にあたる14日でした
電力不足による電車の遅延、間引き運転によるラッシュは東京の人々に現実としての我慢を強いました
さらに原発の事態の悪化による放射能の危険性が喧伝されるにつけ、
東京の人々は初めて震災を自分ごととして捕らえたのです
しかもそれは真綿で首を締め付けられるような、ゆっくりとした恐怖でした


東京の人々は体力的には元気なので、この恐怖に屈せず、逆にいらいらを募らせてしまったのです
13日にやさしさ、団結、支援を口にしていた人が、14日の朝には怒りをあらわにし、満員電車の中で叫んだのです


ソーシャルメディアの文脈もこの日を境に変わり、怒りがあふれ出しました


本日18日、多くの企業が営業を再開し、まちは日常を取り戻しつつあります
放射能への恐怖が正しい知識の啓蒙により収まり、
街の空気は怒りからやさしさに再度変化しつつあります
数多くのボランティアが活動をはじめ、人の役に立とうとする声があちらこちらで聞こえるようになりました


ただしまた東京は、東京の風「人は人」が復活しつつあるのも事実です


我々はここで変わることができるのでしょうか?

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